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調査文】 【調査地 秋田

●「いる」のテンス表現……秋田

 存在動詞「いる」について、さまざまなテンス的意味をどのような形式で表すかを調査した。選択肢にあげた語形は、イル形、イテル形、イタル形、イテアル形、イタ形、イテタ形、イタッタ形、イテアッタ形、イテラッタ形、イタッケ形、イッケ形である(調査文では「イダ」「イデダ」等の有声化の変異形を併記した)。このうちイタル形はまったく回答されなかったので集計からは省き、残りの10形式について使用率を求めた。回答者は、秋田大学学生(秋田県内出身者)である。
 まず、イテル形、イテアル形、イッケ形は、いずれの調査文でも使用率が4%にも満たないので、ほとんど使用されないものと見てよい。「イテル」のタ形であるイテタ形の使用率も、最高で調査文(9)(図9)の4.7%であり、「イル+テイル/テイタ」の形は、あまり用いられないことが分かる。一方、イテアル形およびその縮約形であるイタル形がほとんど用いられないのに対して、イテアッタ形・イタッタ形は過去時制の調査文(図7・8・9・10)で高い使用率が認められ、非並行的な結果となっている。テアッタ形・タッタ形がテアル形(タル形は一般的に使用されない)とは異なったテンス的機能を持つことが示唆される(この点を含め、秋田方言の過去時制形式全般については、後に述べる)。
 東北方言の特徴として顕著なものは、イタ形を現在時制に用いることである(図1・2・3参照)。この「イタ」の用法は、例えば知人宅を訪ねて行って「○○さん、いたか?」と声をかける、という使用例で紹介されることが多い。確かに、この表現はこうした場面での慣用的な表現にもなっているのであるが、秋田方言では、「呼び出し」場面に限らず、一般的に存在動詞「イル」の現在時制をイタ形で表すことができる。図1・2・3のイタ形の使用率を比較されたい。この現象は、継続相の表現「シテイル」の場合も同様である。すなわち、今現在、進行中の事態として「庭で犬が走っている」という場合に「ハシテダ」(「ハシテラ」となる場合がある)が用いられ、また、今現在、持続状態にある「部屋に明かりが点いている」という場合に「チーデダ」(同様に「チーデラ」がある)が用いられるのである。
 タ形で現在を表し得るのは、現在観察する限り、存在動詞「イル」(および継続相を表す「シテイル」)、動詞の可能形(可能動詞形・可能接辞形)、指定辞(ダ・デス)などである。先に見た「可能表現」の調査で、「その他」の回答に現れたタ形の語形を変異形としてあげた。「泳ぐ」「する」の可能動詞形の中にあげた「オヨゲダ」「シェダ」であるが、これは、「この子は水泳が得意で3km以上およぐことができる」「こんな大きな車を運転することができるとは〜」の下線部分を「オヨゲダ」「シェダ」と回答する者があったことを示している。指定辞については、東北方言では、相手に自分の名刺を差し出しながら「はじめまして、山田でした」などと言う場合があるという話を聞くが、秋田方言では、例えば店のレジで「大根280円、チンゲンサイ180円…、全部で460円でした」などのような表現をよく耳にする。さらに、思考動詞「オモウ」についても、標準語ではル形で表現し得る文脈でタ形が現れることがある。以上の述語に共通するのは、状態性の述語であるということであるが、同様に状態性の意味を持つ存在動詞「アル」については、タ形で現在の状態をあらわすことはない。これは、テアッタ形が、単なる「テアル」のタ形ではなく、独自の過去時制を表す形式として機能することと関連した現象であると思われる。
 現在時制でイタ形が用いられるのに対して、恒常的状態(図4)や未来時制(図5・6)ではイタ形はあまり用いられない。また、過去時制(図7・8・9・10)でもイタ形の使用率は高いのであるが、秋田方言では、この場合にイタッタ形、イテアッタ形、イタッケ形も多く使用される。
 ここで、秋田方言の過去時制の形式について付言しておく。さきにも触れたとおり、「シタッタ」の形は「シテアッタ」の縮約によるものであるが、このふたつの形式は機能分担を持つ方向にあり、シテアッタ形が継続相過去(「していた」に相当)の意味を持ちやすいのに対して、シタッタ形は完成相過去(「した」に相当)の意味を持ちやすい。ただし、秋田方言ではシテアッタ形が老年層で用いられやすく、シタッタ形が若年層で用いられやすいという世代的な変化も認められ、両者の機能区分は明確でない。また、「シテラッタ」という形があるが、これは「シテイデアッタ>シテデアッタ>シテダッタ>シテラッタ」と変化して発生した語形であり、継続相過去の意味でのみ用いられる。継続相過去の表現には地域差があり、県南部でシテラッタ形、県北部でシテアッタ形を用いる傾向がある。なお、県中央部ではシテラッタ形の前身であるシテデアッタ形が老年層で見られ、やはり継続相過去の意味で用いられている。
 シタ形とシタッタ形・シテアッタ形は、いずれも完成相過去を表し得るが、シタ形が「一般的な過去」「抽象的な過去」を意味する傾向があるのに対して、シタッタ形・シテアッタ形の表す過去は、実体験に基づく「具体的な過去」、一回限りの「個別的な過去」であるようである。

【参考文献】
金水 敏(1997)「現在の存在を表す「いた」について−国語史資料と方言から−」川端善明・仁田義雄編『日本語文法 体系と方法』ひつじ書房

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