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調査文】 【調査地 秋田

●可能表現……秋田

 日本の各地方言の中には、可能の意味によって形式の区別があるものがある。可能の意味として区別されるのは、大きく「状況可能(主体の外の状況に主体がある動作を行うことを妨げるような条件がないためにその動作を実現することが可能であることを表すもの)」と「能力可能(主体の持つ能力によってある動作を実現することが可能であることを表すもの)」のふたつであるが(渋谷1993参照)、伝統的な秋田方言では、「状況可能」に肯定ではスルニイイ形、否定では可能接辞形(いわゆる可能の助動詞レル・ラレルを後接した形)を用いるのに対して、「能力可能」には肯定・否定とも可能動詞形を用いる。標準語の場合、可能動詞形は、五段活用動詞では(「書く」に対して「書ける」、「乗る」に対して「乗れる」など)規範的なものとなっているが、一段・カ行変格活用動詞では(「着る」に対して「着れる」、「来る」に対して「来れる」など)いわゆる「ら抜きことば」として非規範的なものとされている。また、標準語の場合には、これらの形式に可能の意味による使い分けはない。さらに、標準語では、サ行変格活用動詞「する」の可能表現には、「する」の派生形ではなく語彙的な可能動詞「できる」を用いるのであるが、秋田方言ではスルの派生形として「状況可能(否定)」で「サレネ」(肯定では「スルニイー」)、「能力可能」で「セル」(肯定)、「セネ」(否定)を用いる。以上の関係を表に示すと次のようになる。

<秋田方言の可能表現> 状況可能 能力可能
肯定 否定 肯定 否定
 一段・カ行変格活用動詞  スルニイイ形 可能接辞形 可能動詞形
五段活用動詞
サ行変格活用動詞
<標準語の可能表現> 状況可能 能力可能
肯定 否定 肯定 否定
 一段・カ行変格活用動詞  可能接辞形
五段活用動詞 可能動詞形
サ行変格活用動詞    語彙的可能動詞「できる」   
※一段・カ行変格活用動詞の可能表現として用いられる可能動詞形は非規範形(ら抜きことば)。

 調査では、一段活用動詞「着る」、五段活用動詞「泳ぐ」、カ行変格活用動詞「来る」、サ行変格活用動詞「する」についてそれぞれ、「状況可能・肯定」「状況可能・否定」「能力可能・肯定」「能力可能・否定」の4つの調査文を設定し、使用可能な形式を選択肢の中から選んでもらった。選択肢にあげた語形は、可能接辞形、可能動詞形、スルニイイ形(肯定文のみ)および「する」の場合のデキル形である。なお、秋田方言では語中の /r/ が脱落することがあり、可能接辞形、可能動詞形には変異形として、「キラレル」に対応する「キラエル」、「キレル」に対応する「キエル」等も選択語形にあげた。集計の際は、「その他」にあげられた語形も含め、変異形をまとめて分類し、それぞれの形式について使用率を求めた。回答者は秋田大学学生(秋田県内出身者)である。
 まず形式別に見ると、スルニイイ形は<状況可能・肯定>の調査文で2割強の使用率であるのに対して、<能力可能・肯定>ではほぼ1割弱の使用率で、状況と能力の意味の区別を保つ者がいることがわかる。ただし、形式自体の使用率は高いものではなく、この形式が「消えゆく方言形」であるということもわかる。また、スルニイイ形の使用は、他の形式の使用率に影響を与えていないようであるが、可能接辞形と可能動詞形には、使用率の上下に相関関係がある。肯定文では<状況可能>と<能力可能>で両者の使用率の差はほとんど見られない(可能動詞形が優勢)が、否定文では<状況可能>で可能接辞形の使用率が高く、<能力可能>で可能動詞形の使用率が高くなる傾向があり、伝統的秋田方言の用法を反映した結果となっている。ただし、全般的に可能動詞形の使用率が高く、標準語的な「可能動詞一本化」への道をたどりつつあるとも言える。その傾向は、動詞別に見た場合、五段活用動詞に最も明確に現れているが、一段・カ行変格活用動詞においても可能動詞形の使用率はかなり高い。なお、サ行変格活用動詞では、デキル形が多く答えられているという点で、標準語的な回答傾向が見られるのであるが、その中で<状況可能・否定>の可能接辞形の使用率が5割を越えていることは、注目に値する。
 標準語において、いわゆる「ら抜きことば」は、動詞の音節数(@2音節/A3音節以上)、活用の種類(@上一段動詞/A下一段動詞)によって使用率が異なることがわかっている(@がAよりも「ら抜きことば」になりやすい(岡崎1980参照))。一方、可能接辞形と可能動詞形を意味の区別により使い分ける秋田方言では、本来、こうした条件は可能動詞形の使いやすさに影響しないのであるが、一段・カ行変格活用動詞の可能動詞形を「ら抜きことば」として受容している若年層においては、こうした可能動詞形の使用制限も同様に生じているのかどうかが問題となる。秋田方言域の可能表現の体系変化を見ることは、同一語形の使い分けのシステムが標準語と方言とで異なる場合、そこで起こる「標準語化」が、どのように進行していくかを解明する手がかりとなろう。

【参考文献】
岡崎和夫(1980)「『見レル』『食ベレル』型の可能表現について」『言語生活』340
渋谷勝己(1993)「日本語可能表現の諸相と展開」『大阪大学文学部紀要』第33巻 第1分冊

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