[あきた時評] 2004年9月4日

竿燈祭り/御幣流しに見た「みそぎ」


  ひょんなことから祭りについて調べることになった。「祭りのことば」というテーマで、秋田の祭り(できれば竿燈《かんとう》)を題材にした原稿を書いてほしいと依頼されたためだ。祭りについて特に詳しいわけではないので少しためらわれたが、竿燈については前々から気になっていたことがあるので、引き受けることにした。

 秋田の竿燈は、古くは「ねぶりながし」と呼ばれていた。青森の「ねぶた」もその名の由来は同じである。この「眠り流し」という名称の意味が、どうもよく分からない。よく言われるのは、夏場の疲労に伴う「睡魔」を流すということであるが、「睡魔」を忌避する感覚と、あの竿燈の華麗な妙技、勇壮なねぶたが結びつかないのだ。

 同僚の民俗学の先生に尋ねると、お盆の前のこの時期の祭りには、祖霊を迎える準備として、「穢(けが)れ」を払うことを目的とするものが多いとのことであった。「眠り」が「穢れ」に直結するものとは即断できないが、この行事の本来の目的が、そういったところにあるとすれば納得がいく。

 能代に「ねぶながし」という行事があるが、これは城郭型のきらびやかな大灯籠(とうろう)を引いて町を練り歩く。そして、最後に城の上に取り付けられたシャチを燃やして米代川に流す。鹿角の花輪ねぷたでは、「王将」と書かれた将棋の駒型の大灯籠を運行するが、これも最後は米代川に掛かる稲村橋に並べて燃やす。今回、この二つの祭りも見に行ったが、豪華絢爛(けんらん)の大灯籠が、一瞬にして炎に包まれ形を失っていくさまは、やはり哀感が漂う。こうした「燃やす」あるいは「流す」という行為が、「穢れ」を払うための象徴的な行為として機能することは、想像に難くない。

 秋田の竿燈でも、この「流す」という行為が行われている。「御幣流し」がそれだ。竿燈のさおの先には、紙と麻で作られた御幣がつけられているが、これを祭りの最終日の翌朝に旭川に流すという。これはぜひとも、この目で確かめておきたい。

 8月7日の朝7時前、旭川に掛かる刈穂橋に、前日まで、竿燈の妙技を存分に披露してきた各町、各団体の代表者たちが集まってきた。前日までと同じように、おのおのの紋を染め抜いた半纏(はんてん)を身につけ、前日までのにぎわいとはうってかわった穏やかな空気の中、集まったア人ばかりの人たちは、それぞれの手に御幣を携えていた。そして、特に何の前触れもなく、7時になると、「行ぐすよ」の声を合図に、御幣がいっせいに川面に投げられた。人々はしばし手を合わせ、そして間もなく、三々五々に散っていった。あっけないくらいあっさりと、この行事は終わった。

 流れていく御幣を見送りながら、祭りの終わりを実感した。観光客に披露するための竿燈と、みそぎのための御幣流しは、やはり一連のものであった。

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