[あきた時評] 2004年11月13日

学校の統廃合/地域が見守る教育 奪うのか


 夢に頻繁に現れる「定番」の風景がある。コの字形の木造校舎、堤防に囲まれた小さな校庭、堤防の向こうは遠浅の瀬戸の海。その先には周防大島が見える。生まれ故郷(山口県)の小学校の風景である。

 1学年1クラスの小規模校だった。同級生たちの名前を思い出してみたところ、男子13人、女子11人の名前が、するすると出てきた。中には二十数年ぶりに思い浮かべる名前もある。高校や大学の同級生なんて、特に親しかった数人しか思い出せないというのに。

 おもしろいことに、小学校の同級生たちの記憶は地域の風景と密接に結びついている。小学校を中心とした地域の鮮明な風景がまず思い浮かび、そのそれぞれの地区に住んでいた同級生たちの名前が、順番に浮かんでくるのだ。

 小さな学校だったので、一人ひとりの存在感が強烈だった。一人ひとりに「活躍」する場があった。影の薄い人などいなかった。足の速い人はとことん速かったし、マンガのうまい人はとことんうまかった。私などは、学芸会の出し物の劇で、脚本・演出・美術(ついでに主演)を一手にこなしていた記憶があるが、大規模校では到底そんな経験はできなかっただろう。

 地域と学校の親密な視線に見守られて、のびのびと自分を表現できていたように思う。その後、規模の大きい高校、大学に進学したが、そこでは窮屈な思いをすることが多かった。良くも悪くも、この小学校時代に自分の基盤が形成されたと思える。そんなわけで、いまだに小学校の風景が夢に出てくるのだ。

 今年6月に、秋田県教育委員会から「あきた教育新時代創成プログラム(素案)」が提示された。少子化の進行と財政難から、教育コストの縮減を図るもので、教職員数の削減、教員採用試験の受験年齢の引き下げ、小中学校の統廃合などについての提案は、県内の教育界を中心に波紋を広げ、議論にもなっている。ただ、地域社会からの声が強く上がっているようには見受けられない。

 プログラムでは、県の考える標準的な学校規模として、各学年の児童生徒数が60人程度、学級数が小学校で2〜3学級、中学校で2〜4学級と設定されている。この「標準的な学校規模」とは何を根拠としているのだろうか。小規模校には小規模校の個性がある。むしろ、「標準的な学校規模」を実現するために統廃合を行うことにより、地域社会から、教育の拠点、人の集う拠点、何より「子供」を遠ざけてしまうことの問題の方が大きいのではないか。

 地域社会に見守られながら教育を受けることができるのは、その地域社会の特権である。この特権の失われた地域に、人は好んで住もうとするだろうか。

 プログラムは11月中に最終案が取りまとめられ、12月に議会に提示される。

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