[あきた時評] 2005年2月19日

合併と言葉/若い世代に薄れる対立感情


 秋田県の市町村合併の行方が気になる。「平成の大合併」も大詰めだ。今年に入ってからも、「仙北市」となる予定だった田沢湖・角館・西木の合併協議会から角館町が離脱し、「白神市」名称問題で揺れた能代山本合併協が廃止となり、一方で、横手平鹿合併協からいったん離脱した増田町が復帰を申し入れるなど、実に目まぐるしい。

 これまで、県内各地で方言を調査し、何枚もの「言語地図」(言葉の分布図)を作成してきた。市町村の境界は、「言葉の境界」に重なることが多い。考えてみればこれは当然のことで、人の交流圏は言葉の通用圏でもあり、その範囲が行政区画に一致するということである。

 明治の大合併(1888−89年)、昭和の大合併(1953−61年)の際も、地域の伝統に根ざした人の交流圏に基づき、合併が行われてきたはずだ。その結果が、現在見られる言葉の分布にも、反映するところとなっている。

 一方で、合併の過程では、さまざまな住民感情の対立も生じたに違いない。なにしろ、境界を取り払うことは、「自分の慣れ親しんだ言葉」を侵されるという大きなリスクを伴う。吸収か、対等合併か。合併の形態と言葉の受容には、おそらく重なるところがあっただろう。

 今年度の秋田大学の卒業論文で、角館町の伝統の保持と変容をテーマに研究をした学生がいる。実際に角館町の住民に話を聞いて回り、祭りや集会などにも参加した。この研究によれば、角館町には仙北地方北部の中心であるという強い自負心があるという。興味深かったのは、田沢湖町、西木村も、日頃の住民同士の付き合いでは、それを適当に受け入れているようなのだ。合併話が持ち上がった当初は、「新市名は『角館市』で決まりだろう」との見方をする人が、田沢湖町、西木村にもいたという。

 問題なのは、今回の「大合併」が、経費削減・合理化を目的としたものであって、地域住民の自然な交流圏の拡大に基づくものではない点にある。角館町には、確かに、周辺2町村を「在郷」と見なす伝統がある。そして、それをゆるやかに受け入れてきた伝統的なつながりと、その一方で生じる対立感情がこの地域にはある。それに対し、現在の若い世代では、学区の広がりから町村を越えた交流があり、伝統的な町村間の上下意識も解消されつつある。今はちょうど、この地域の住民感情が切り替わる過渡的な時期なのだ。

 そうした中で、今回、町村同士の公式の合併協の場で、伝統的な対立感情が顕在化してしまった。角館町への積年の恨みを晴らすかのように、田沢湖町、西木村はタッグを組んで対抗し、角館町は協議会の中で孤立することになったわけである。

 こうした経緯によって生じた「しこり」の跡が、これから数十年後のこの地域の言葉の分布にも、反映することになるのだろうか。 

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