[あきた時評] 2005年5月21日

尼崎の列車事故/おわび放送にみる「日本」


 JR宝塚線(福知山線)脱線事故は、二重三重の意味でいたたまれない。100人を超す死者が出た大惨事だったことは痛ましい限りだが、その後の報道によれば、運転士の感じていた心理的な圧迫感も、相当のものだったようだ。
 定刻通りに運行する日本の公共交通機関は、日本文化の一部と見てもよい。昨年、英国の大学から秋田大に移ってこられた先生が、この事故について「信じられない」を連発されていた。いわく、「欧州では考えられない」。欧州の電車は時間通りに来ないのが普通で、頻繁に運休する。乗客は根気よく待ち、「来た電車に乗る」という態度なのだそうだ。
 過密ダイヤの中、定刻厳守の重圧が運転士を追いつめる、というのは、きわめて「日本的な」現象なのである。

 そんなことを考えているとき、気になる記事を目にした。5月16日付「産経Web」の記事によると、伊丹駅でのオーバーランのあと、車掌は乗客に対し「おわび」の車内放送などに追われ、指令所にオーバーランを報告したのは、塚口駅を過ぎた付近だった。指令所からは運転士に確認の呼びかけがあったが、応答はなかった。事故はこの直後に起きており、この指令所とのやりとりが運転士の動揺を誘った可能性がある――。
 記事は、指令所とのやりとりを問題にしているが、私が気になったのは、「おわび」の車内放送である。

 「お急ぎのところご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありません」というようなアナウンスだろうか。日本の公共交通機関では、このような「おわび」が、ごく自然に行われる。ところが、これも実は「日本的な」ものであって、例えば米国の空港では、飛行機の出発が遅れたときに、“Thank you for waiting”(待ってくれてありがとう)というアナウンスがなされるという(八代京子他『異文化コミュニケーション・ワークブック』三修社)。
 交通機関が遅れた場合、日本では乗客の被る「迷惑」に対して「おわび」する。一方、米国では「根気よく待ってくれた寛大さ」に「感謝」する。

 「おわび」を好む日本人のメンタリティーを非難するわけではない。これも日本文化の一部で、相手への配慮という点では、洗練の極にあるものだとも思う。
 でも、もし、このときの車内放送が、次のような言葉だったらどうだろう。
 「お急ぎのところご理解いただき、誠にありがとうございます」。運転士の耳にも、車内放送は届く。乗客の寛大さをたたえる言葉は、乗客と運転士の間に信頼のきずなを結ぶ。会社のためではない。この乗客たちのために、安全な運転をする責任が、自分にはある――。
 今回の事故は、「日本的な」システムとメンタリティーに起因する。そう思うにつけ、いたたまれなさが増してくる。

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