[あきた時評] 2005年10月22日

日本語ブーム/「自分探し」のただ中で


 「日本語練習帳」(大野晋著、1999年)が皮切りだっただろうか。「声に出して読みたい日本語」(齋藤孝著、2001年)で、もはや社会現象ともなった日本語ブームは、「問題な日本語」(北原保雄編、2004年)などを経て、いまだに衰える様子もない。
 この3冊だけを見ても、ブームの動向に一定の流れがあることが分かる。まず日本語に独自のシステムがあることを確認し、次に日本語のすばらしさを懐古し、そして現在の日本語が本来の正しいものであるかどうかを懸念する――。
 この「日本語」を、「日本」もしくは「日本人」に置き換えると、このブームの意味がよく分かる。今回の日本語ブームは、日本が先進国の仲間入りを果たし、追いつき追い越すべき目標を失った時期から日本人がかかえ込んだ、「自分探し」の模索の過程の中で生じた現象のように思われる。
 現在、私は一時的に秋田大学を離れ、国立国語研究所で研究している。国語研は、全国随一の日本語に関する蔵書とデータベースを持ち、組織的な日本語研究を行っている機関である。最近では、外来語の言い換え提案が比較的知られた活動だろう。
 日本語研究者にとってはこれほど居心地のよい場所はないが、一方で、一般には「そんな機関があるのか」という程度の位置づけではないだろうか。
 実際のところ、国語研の現在の活動も、国民全体にかかわる緊急課題に取り組むものではなくなっているように思われる。多様化した日本社会の中で日本語のあり方も多様化し、それをとらえるために模索している状況に近い。こうした国語研の現状は、「自分探し」時代に突入した日本社会一般の動向を反映したものとも言えそうである。
 国語研の設置は、1948(昭和23)年にさかのぼる。戦後復興の課題を多く抱えたこの時期に「国語及び国民の言語生活に関する科学的調査研究を行い、あわせて国語の合理化の確実な基礎を築く」(国立国語研究所設置法)ことを目的とする研究機関が設けられたことには大きな意味がある。
 現在では当然のように従っている、常用漢字表や現代仮名遣いなどの現代語表記の基準もなく、各地の方言差は今より格段に大きく、そもそも日本語を国語として採用するかどうかすら定まらなかった時期である。日本語は、まさに国民全体にかかわる緊急課題を抱えていたのである。
 多様化した日本社会で日本語研究者の取り組む課題も多様化している中、日本語の将来像を見すえた調査研究に真摯に取り組む研究者が国語研にはいる。私自身、そうした研究者との交流を通して自分の研究の方向性を見直すという、まさに「自分探し」の渦中にいる。

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